toTOP

杏林大学医学部 第二内科学教室 循環器内科
menu

トップ > 加地英生先生 (朝日町クリニック)からのお便り

加地英生先生 (朝日町クリニック)からのお便り

加地英生先生 (朝日町クリニック)からのお便り

2021.05.06

病診連携でお世話になっております加地英生先生 (当科OB 朝日町クリニック)よりお便りが届きました。


私は平成元年に卒業し当時の第 2 内科(循環器・血液内科)に入局しました。希望を持 って望んだ医療現場は右も左も判らず戸惑うばかりでした。当時の研修制度は今の様にし っかりした研修システムではなく、私の場合には外科と眼科の研修をそれぞれ 1 ヶ月行っ ただけでした。また研修医の待遇も十分に考慮されない中、「君らは勉強させてもらってい るんだ」という感じでした。毎日朝から夜遅くまで病棟や医局に残ってほぼ病院で生活し ているようでもあり、今の研修システムが本当に羨ましいです。
患者の受け持ちはチーム制となっており研修 1 年目には 2 年目の先輩が付き色々と指導 して頂きました。たった 1 年しか違わないのに先輩たちの背中が随分と頼もしく感じまし た。早朝からの病棟での採血は患者さんに御迷惑をおかけしたかもしれません。8 時からの カンファレンスまでにカルテ記載を終了する事が毎日の始まりでした。この頃は毎日覚え ることが多く大変でしたが 1 日 1 日と自分の成長が感じられ充実した毎日で体の疲れなど あまり感じていませんでした(若かったから)。
研究班では心臓カテーテル班に所属し、虚血性心疾患の患者さんを毎日のように診療し てきました。当時は血栓溶解療法がウロキナーゼから t-PA に代わり、心筋梗塞急性期にカ テーテル治療が行われ始めてきた時代でした。ポケベルで夜間頻回に心カテ室に呼び出さ れましたが使命感を持って病院に駆けつけていました。
月日は流れ平成 19 年 4 月に府中市で開業しました。卒業大学の近くで開業し医療連携を しっかりとりながら地域医療を行って行きたいと考えたからです。開業当初も右・左が判 らず、頭シラミの子供が来て、さて治療はどうするんだ?などとドキドキしていました。 杏林時代とは大分環境が変化し専門だった急性冠症候群の患者は 1 年間に 1~2 人ぐらいし かお見えになりません。開業後 15 年近く経過し、いつの間にか中学校や都立学校の校医、 給食センター産業医、教育委員会の健康相談委託医、府中市医師会の仕事などをしながら 地域の医療に携わってそれなりに忙しくしています。コロナ禍の現在は医師会設立の PCR センター業務、令和 3 年 5 月以降はデイープフリーザの設置を依頼されており、府中市民 のワクチン個別接種に対応していく予定です。
大学病院で過ごした年月と現在の開業の仕事には随分と違いがありますが、大学病院で 過ごした年月が今の自分にとっての診療の指針になっています。今後は高齢化社会になり 心不全パンデミックも心配されています。開業医と専門病院の医療連携がより重要になっ てくると思われます。患者紹介がスムーズで、垣根の無い顔の見える医療連携が望まれま す。どうか今後とも宜しくお願い申し上げます。医局 OB として杏林のますますの発展と先 生方のご健勝を願っています。

IMG_3909.jpg
循環器病患者さんが地域で安心して過ごせる病診連携をより良いものに出来るよう、医局員皆で尽力いたします。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

←What's New一覧